普段は、私と子どもたちだけで夕飯を食べるのだが、週に1度くらいのペースで、友人親子が遊びにきたり、私たちが遊びに行ったりしながら、5,6人でご飯を食べている。「みんなで食べるとおいしいよね」、食事中の、親たち、子どもたちの決まり文句だ。大勢で食べているときには、子どもが汁物をひっくり返しても、「ほら、気をつけて」と笑顔でいられる。大人の数が増えると、自然と心に余裕が生まれてくる。
たとえ、親と子の比率は同じだとしても、ひとりで2人の子どもをみるよりも、大人3人で子どもを6人みていた方がずっと気持ちが楽だ。子どもを一緒にみてくれる人がいて、大人の会話ができる空間があって、子どもたちは思う存分、ケンカと仲直りを繰り返す。子どもは、自分の親以外の大人にもしかられながら、何かを学んでいる。こんな状況の中では、幼児虐待は起こり得ない。
子どもに対してカッとなる瞬間というのは、たいてい自分ひとりで子どもの相手をしているときだ。私は、このような活動をしているがために、「さぞかし上手に子育てをしている」と人から思われることがあるが、とんでもない誤解である。いまだに四苦八苦の毎日で、夜泣きに耐えきれず、夫の携帯電話に「狂いそうだ」とメールをしたこともある
それでも、何とかやってこられたのは、出来る限り家事育児に関わろうとする夫と、私の日常に大きく入りこんできてくれている友人たちの力に他ならない。
子育ては母親がひとりでする仕事ではない。子育ては大切な仕事だからこそ、できるだけたくさんの大人が関わらなくてはいけない。にも関わらず、現実は、多くの母親がひとりで考え、悩み、ときに苦しんでいる。「大変なのは今だけ」と、中高年の女性たちは言う。確かに、年月が過ぎて、振り返ってみると、育児で大変なのは一時期かもしれない。しかし、大変さの真っ最中にいる人に対して、果たしてその言葉は救いになるのだろうか。
子どもが幸せと感じるためには、まずは子どもを育てている親たちが幸せでなくてはいけない。親が孤立してしまっていては、幸せの形は見えてこない。父親が子どもともにゆっくり時間を過ごせ、地域や家族、友人に囲まれた母親が、育児に幸せを感じられるような世の中へ。そのためには、多くの大人の力が必要とされている。